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流光の咲き

元気な子供は平和の象徴というが、子供の笑顔には不思議な力があるように思える。
 何が楽しいわけでもないのに、思わずこちらも笑顔になっていることに気付く。
 わーきゃー騒ぐ子供たちに翻弄される大人たち。
 見守る周囲の優しさ。
 平和だな。と心の底から思う。
 あの戦争から7年。倶東国の国境付近はまだまだ復興途中だが首都の栄陽には7年前の面影は残っていない。
 不安、絶望、恐怖に誰もの顔が曇っていた。
 それでも前へ向き、復興する街に人間のたくましさを知る。
 心に感じる小さな痛みを振り切るように目的地、紅南国宮殿へと足を進める。




 長い間旅をした。
 天災で、今よりもずっと身も心も未熟だった自分がすべてを失ってから、旅をしていた。
 あれから13年。
 いろいろなものを見てきた。
 人の温かさも人の残酷さも。
 東の国境付近では、都とは違い戦争の被害も大きく都のような復興はまだまだ遠い。
 家や職、家族を失った者たちが多く、10にも満たない子供が盗みをすることも珍しくない地域も多々ある。
 当事者としてもこのままではいけないと思う。しかし七星の力ではどうしようもないと七星の先輩である白虎七星士は言った。
 それでも納得しきれない井宿に奎宿はそれが現実だと苦々しく語った。
 自分たちの持つ力は人には過ぎた力で、使い方次第では先の倶東の皇帝と同じ、いや四正国全てを支配することすらできる大きな力だ。
 この能力(ちから)は権力のある場所では決して使うものではない。
 そう言う100の齢を越えた白虎七星士の言い分は説得力があった。
 それよりも女はいいぞ!と語った奎宿は相変わらずで下心に鼻の下を伸ばした奎宿への体裁もまた相変わらずで苦笑した。
「旅をしていい女見て見聞深めるのもいいが、やっぱり落ち着ける場所があるってのはいいもんだぜ」
 遠まわしに当てのない旅よりも居場所を見つけろと言われた気がして少し居心地が悪かった。

 少年だった仲間も山の頭として、彼の親友の副頭と共に足りないところをお互い補いながら立派に務めているという。
 訪ねたときはいつも快く迎えてくれる。頭の仲間としてというのも当然あるが、定職にもつかずふらふらと流れている不審者丸出しの自分を迎える事は山自体がきちんと運営できているということだ。
 いつまでも子供だと思っていた仲間が少しずつ、確実に大人になる姿は嬉しくもあり、うらやましく感じる。
 彼を見ていると時の流れを感じる。
 自分にとって変化は旅の風景。
 変わらない日常。
 山賊稼業に、頭として一生懸命生きる彼と自分では決定的に何かが違う。
 昔は将来のため、役人になるために一生懸命勉強していた。
 大極山での修業時代は生きることに、目の前のことをこなすことに必死だった。
 そう。今の自分には彼のようにそして昔のように”目的”がないんだ。
 七星の役目を終えてから目的を見失ったんだ。



 
「まぁ。井宿久しぶりですね!」
「鳳綺様、芒辰様、お久しぶりですのだ。芒辰様大きくなられましたのだ。ますます星宿様に似てこられたのだ」
 照れたように笑う芒辰は父親似というよりは母親似だなと思わずクスリと笑う。
「井宿も、元気そうで何よりです」
「ねぇ、旅の話をして!」
 子供特有の好奇心に満ちた瞳。
「芒辰、挨拶もまだきちんと終えていないというのに、それに井宿も旅をして疲れているんですよ?」
 不満そうに母親を一瞬見てぷいと顔をそむける。
 皇太子として生を受け育ち、それ相応の教育を受けている芒辰とはいえまだ6歳。
 公式の場ではともかく、母や気の置けない相手には子供の顔を見せる。
「構いません鳳綺様。芒辰様はどんな所へ行ってみたいですのだ?」
 苦笑しながら小さく頭を下げる鳳綺。
 宮殿で暮らす芒辰が行ったことのない場所、見たことのないようなものを選んで話した。
 目を輝かせて聞く芒辰を見て、かつて大人の顔をしていた星宿に旅の話をした時も少年のように喜んでくれたことを思い出した。
 一頻り星宿や七星、旅の話で盛り上がった。落ち着いた頃を見計らって鳳綺が話を切り出した。
「さぁ、そろそろ井宿を右大臣に返してあげましょうね芒辰」
 にこりと笑う鳳綺に井宿は目を見張った。見るとそばで控えていた右大臣が同じように驚きの表情を浮かべている。
象棋(シャンチー)(中国版の将棋)の約束をしているのでしょう?」
「鳳綺様何故…」
「見ていればわかります。ここ最近右大臣が頻りに暦表を見ていたでしょう?象棋には目がありませんものね」
「いやはやそこまで見抜かれているとは、御見逸れいたしました」
「ふーん。右大臣は宮殿で1,2を争う象棋の腕だという。その右大臣がそれほどまでに楽しみしているとは井宿もかなりの腕なのだな」
「何度も指しておりますが、右大臣に勝てたことがありませんのだ」
 やったことのない芒辰はよく分からないと、首を傾げる。
「井宿様は時に私の思いつかないような指し方をされるのですよ。本当に面白うございます」
 井宿も芒辰と同じようで、
「そんなに変わってないと思うのだが」
「いえいえ!今までいくつもの書物を読んでまいりましたが、井宿様のような手を打つ方法はございませんでした。井宿様の今までの経験からくるものなのでしょうな」
 人とは違う人生を歩んだ自覚のある井宿は思い当るところがあるのか眉をひそめため息をついた。
 大極山での修業時代に何度か娘娘に象棋に誘われその破天荒ともいえる無茶苦茶な打ち方に閉口した事があった。
 人生経験といえば人生経験なのだ…
「…多分、何度か指したことある人が、かなり変わった人だったから少しうつったのだ…って無理なのだー!」
 一瞬見えた少年の眼差しに釘を打つと目に見えてがっくりと肩を落とした。
 そんな様子を微笑をたたえて見守っていた鳳綺が右大臣に部屋へ戻るように促し井宿もそれに従った。



「雑然としてまして、申し訳ありません井宿様」
 そう苦笑する右大臣の顔は疲れているように見える。
 右大臣の執務室は以前来た時よりも確かにずいぶんと雑然としていて、机の上などはほぼ書物で埋まっている状態だった。
「お忙しいのですのだ?象棋はまた次回にしたほうが…」
「いえ、確かに忙しい時期ではありますが、一区切りついたところですので是非井宿様に付き合っていただけると私もうれしいです」
「オイラは官吏ではありませんので出来る事も限られていると思いますが、オイラに手伝えることがあったらなんでもお手伝いしますのだ。体を壊しては元も子もありませんのだ」
 本当に心配そうに言う井宿に礼をいい、考えるそぶりをした右大臣は少しして口を開いた。
「…そうですね。井宿様もまったくの無関係ではないかもしれません。お耳に入れておいたほうがよいのかもしれません」
 用意してあった象棋を挟んだ椅子に腰かけて一息をつく。
 事の起こりは7年前の倶東国との戦争なのだという。
 倶東軍の進出の痛手は紅南国に大きな傷を残した。
 都市部は2年と経たずにずいぶんと復興したが地方、特に倶東国との国境付近は今も荒れ放題の地が多い。
 そして家や家族を殺された戦災孤児が集まり盗みは当然、恐喝、そして殺しにまで手を染める子もいるという。
 そんな孤児たちを集め、人間らしく暮らし、適度な教育を施せる場所を作ろうという計画が持ち上がっている。ということだ。
 話を聞いて井宿は驚いた。
 青龍召喚を阻止できなかった朱雀七星士として、李芳准という一人の人間として気にしていたことで、井宿自身も考えたことのある理想論だった。
 しかしそれは奎宿のいう「仕方のないこと」で、井宿も一個人ではどうにか出来る問題ではなかった。
 だが、こうして都が動いたということは…。
「誰もが幸せに暮らせる世を作ることが陛下の願いでもありましたので。時間はかかるでしょうが…」
「具体的には…」
「まだ準備段階で、村の一部をその地にするのではなく新たな土地で集落を作ると考えております。候補地はあるのですが最終決定となれば私も視察に行きたいと思いますし、日数がかかりますのでなかなか先へ進まないのが現状です」
 本当にイチから始めるのだ。苦笑する右大臣の顔にはやはり疲れを隠せなくてなんとか力になりたいと思う。それに、
「移動の術なら使えるのだ!行ったのない場所でも近くにまで術で行けばそれほど時間もかからないのだ!」
「おお!」
 もちろん場所によると伝える。
 瞬間移動なら得意分野だ。術や何年も放浪していたこの経験が活かせるのならいくらでも手伝うことが出来る。
「井宿様私どもをその地まで連れて行っていただけますか?」
 笑顔で了承すると、右大臣はさっそくとばかりかりに近くにいた者に指示を出し準備を始める。
「だ…今すぐなのだ?」
 置いてけぼりにされたため息をつき井宿は目の前の象棋を見た。時間の都合で中途半端になった前回と同じ状態にすでに用意してある。
「まぁ。いいのだが…」
 自分には時間はいつでもあるし急ぐ必要もないのだ。目の前の盤の次の手を考える。
 少しして恐縮した様子の右大臣が参考にと候補地を記した資料を持ってきた。
 いくつか候補地はあって、どの地も倶東との国境付近からそれほど遠くなく栄陽もしくは紅南の大きな町からも離れていない場所である。
 土地の環境や周辺地域の環境を考慮した上で最有力候補となった地を見て井宿は愕然とした。
「な…」
 何故ここが…
 驚きのあまり声さえ出ない。
 全身の血が引く。変わりに心臓はうるさいくらいに鳴り響く。
 確かにここなら、国境付近からそれほど遠くなく周辺も何もないだろうから孤児を受け入れはやりやすいだろう。そして何か問題があってからも大きな町もそれほど遠くないため対処できるだろう。
 だが、何で…
 数多にある場所から何故ここが選ばれた。
 記された場所は、井宿が18の時まで過ごしたあの故郷だった。




「井宿様大丈夫ですか?顔色が悪いようですが…」
「…いや、大丈夫なのだ…」
 右大臣に促されるまま担当の役人2人を連れいくつかの候補地を見て回った。
「申し訳ありません。井宿様に甘えてしまいまして」
 能力を使っての疲れだと判断した右大臣は本当に申し訳なさそうに言う。彼にしてみれば無理やり連れだしたも同然なのだろう。
 頭の隅でそう理解しても弁解する気力がない。
「後1か所ですのでお疲れのところ申し訳ありませんが、お願い致します」
 最後の場所、故郷へ。
 心配そうに見つめる右大臣たち。今の自分はそれほどひどい顔をしているのだろうか。
 彼らの思いも、星宿の願いも無為にするわけにいかない。
 井宿は術を放った。


 少し周りを見てくると言い訳にしか聞こえない事を伝え一人離れた。
 頭が痛い。吐き気がする。
 必死に拒否しようとする体と無意識に発動しようとする能力を抑える。
 手頃な岩に腰かけ頭を抱えた。
 ここに集落を作る。そんなこと考えたこともなかった。
 そんなことをしたら…
 いや昔住んでいた地は本当に川岸だった。集落が高台ならば可能かもしれない。
 実際に高台の家は今も残っている。
 けれど、井宿にとって人生を左右したあの洪水を簡単に理解することはできない。
 故郷に帰ったのはあの洪水(とき)から2回目だ。
 一度は飛皋と再会し永久の別れをした後彼の墓、といっても彼の遺体は出てこなかったし墓も洪水被害者全員を埋葬した墓なのだが、参る決心をしたからだ。
 飛皋…
 無意識に首にかけた玉を握る。
 そうだ、あの時俺は己の生を歩んでいく。そう誓ったではないか。彼も彼女も両親もみんなが眠るこの地で。
 逃げてはいけない。
 逃げてはいけないんだ。
 面をはがすと素顔が露わになる。
 立ち上がると資料を見て以来ずっとあった頭痛と吐き気が少し楽になった気がした。
 ゆっくりと故郷を見て周る。
 実はこれ自体は洪水後初めてだった。
 直後はとてもそんな心情ではないし、前回もそこまでの余裕はなかった。
 でも今は都が進める計画のためにも、星宿様の理想のためにも、七星としても、みんなが眠るこの地で後ろ向きな姿を見せるわけにはいかない。
 記憶に残る風景とはほとんど変わってしまっているが、ところどころ面影のある場所もある。そしてやはり高台が多いと気付く。
 圧倒的な水力に負けて無残に折れてしまった木もそこから新しい枝が生えてきている場所もある。
 洪水直後は荒れ果てて見る影もなかったこの地だが草原のように草や花が生えている場所もある。
 自分が思っているより強い。自然は強い。
 死に絶えたこの地も新たな命の息吹が芽吹いている。
 しばらく歩くと随分と大きな木があった。
「この木もあの洪水でも生き残ったのだ…」
 樹齢100年は優に超えているだろうその木を眺めた。
 ゆっくりと木の周りを歩いていると、地面から1メートルほどのところに何やら字が彫ってあった。
 古いものだし、お世辞にも丁寧とは言い難いその字を解読するのは時間がかかった。

    飛皋 芳准

 横に並んでそう書いているのが分かると知らず涙がこぼれた。
「俺たちはずっと親友だからな!」
 そう言って7つか8つの頃に飛皋がその印だと村のご神木に刻んだ。
 当然その大人にしこたま怒られたのだが、その時の様子を思い出し思わず笑みがこぼれた。
「俺はダメだと、言ったんだが」 
 まさか20数年の時を超え、心を穏やかにさせてくれるとは思ってもみなかった。
 昔も、確かに飛皋がご神木に字を刻んだため大人に怒られたことは恨んだが、それよりもその気持ちが何よりうれしかったことを思い出した。
「井宿様…」
 そっと声をかけた右大臣は一通りの視察は終えたようだった。
「どうかされましたか?」
「いえ…」
 一呼吸して心を落ち着ける。
「ここは俺の生まれ故郷なんです。全てが流され何も残っていないと思っていたのですが、残っているものもあるのですね」
 井宿の手元の飛皋が刻んだ2人の名前を見て察したようだった。
 資料を手にしてからの井宿の変化も、1人でいたかった理由も。けれどこれだけは告げた。
「意外と強いものでございます。自然も人も」
「そうですね」
 そっとこぼれた涙を拭った。

 右大臣の後ろでそれまでずっと静かに控えていた男の1人がツカツカと井宿の目の前までやってきた。
 何事かと目を見張っていたら
「失礼致します」
 そう言ったかと思うと男は井宿に殴り掛かった。
 思わぬ不意打ちに避けようもなく思いっきりこぶしを喰らう。
「ちっ井宿様!」
 尻餅をつき、訳も分からず目を丸く見開く井宿と唖然とする周囲に構わずに男は言った。
「朱雀七星士、井宿、だと?」
 明らかに怒っている男に井宿はたじろぐ。
「…」
「生きているんだったら、なんで今まで黙ってた!芳准っ!!」
 胸倉を掴む男の顔が昔の記憶にある顔の面影と一致する。
「お…おじ、叔父上…?」
 その言葉に周囲が騒然となる。
「何故…」
「何故じゃねぇ!お前俺が栄陽にいるってこと忘れてやがったな!」
「え……あ!」
 ぷちぷちぷちという音が聞こえそうなくらい井宿の言葉で叔父の表情が変わる。
「故郷があんなことになって、兄者やお前たちも死んだと聞かされて俺たちがどんな思いをしたと思ってたんだ!それを…忘れてただと!?」
 もう一発と殴りにかかる叔父を周囲がやっとのことで止めに入った。
 ひと騒動の末、なんとかこぶしを収めたところで周囲が安堵の息を吐いた。
「醜態をお見せして申し訳ありませんでした」
 低姿勢謝る姿は先ほどとは別人だった。
 真面目を形にしたような父に対し、奔放な叔父。叔父のこんな姿を見たのは初めてだったが科挙に受かり宮殿につかえているのだから当たり前だと理解し不思議な感じがした。
「井宿様。実は李殿があなたの叔父上がこの計画の発案者なのですよ」
 え、と視線を向けると真面目な顔をした叔父がいた。
「芳准、俺はここで生まれ育った。目を閉じれば昔の風景を思い出すことができる。あの時俺は知らせを聞くことしかできなかった。瓦礫で道も遮断され助けに行くことも出来なかった。言い訳にしかならないが、すまなかったな芳准」
 思わぬ謝罪に一瞬言葉に詰まる。
「そんな!俺こそ…何もできなくて、守れなくて、この能力(ちから)を持っていたのに誰も護れなかった…」
「あれは自然災害だ。たとえ朱雀の能力(ちから)を持っていたとしても人ひとりの力ではどうしようもなかっただろう。苦労したんだろうな芳准」
 真正面からの視線に今自分が素顔であることを思い出す。
 頭を軽く撫でられた。優しい瞳はあの洪水で亡くした父と同じものだった。
「並大抵の苦労ではないだろうが父上や兄者、村のみんなが護ってきたかつての賑わいをこの地に戻したい」
 何を残すかではない、何をするかが大事だと父はいつも言っていた。
 七星として能力を身につけ仲間とともに巫女と朱雀を呼び出し、七星の役割は終わった。
 だったらこれからは何をすべきだろう。
 七星として、一人の人間として。
「俺も出来ることなら、人が賑わうかつてのような集落にしたいと思う」
 父がこの村を守ってきたように。仲間たちが国を守ったように。そう素直に思った。
「そうか」
「あ…しかし井宿という肩書あるだけで官吏でもないオイラに出来ることなんて…」
 国が動いている以上国が決めた人間、役人でないと個人でできることなんてたかが知れている。
 こんな風に術で人を連れてくることすらお役所仕事では邪道でしかない。
「役人になったらいいねぇか」
 あまりにも簡単に言う叔父にどう反応していいか分からない。
「だ…」
「朱雀七星士井宿なら可能ですよね。右大臣」
「だ、いやだから、それは確かに鳳綺様に言えば手伝うことも出来るかもしれませんが役人になるなんて話はまた別なのだ…」
 そんな肩書1つで役人になれるのであれば難関のあの科挙登用試験はなんだというのだ。
 張宿が何のために勉強していたというのか。
「えっと…失礼ですが井宿様のご本名は?」
「だ…李芳准といいますのだ」
 名前をつぶやきながら何かを思い出すように空を見上げる。
「おお!可能でございます」
 その返答に井宿のほうが驚く。
「井宿様、以前郷試をお受けになったことがございますね」
「だ…そういえば昔に一度だけ」
 井宿が18歳の時、あの洪水が起こる1か月程前に本番の雰囲気に慣れておくためと科挙の一次試験を受けたことがあった。
「今回候補地と考えたときこの地に関して洗いざらい調べました。もちろん以前ここに住んでいた者もでございます。確かに書には13年前の地方試験で李芳准という若干18歳の若者が試験に合格したと記されておりました」
 地方での試験とはいえ結果はすべて栄陽の都へ送られる。
「だっ…あの時の試験、受かっていたのだ」
 結果は洪水でうやむやになってしまったが、あの難関の試験を一次とはいえまさか受かっているとは思わなかった。
「しかし、それと何の関係が…?」
「7年前の戦争の復興活動は我々だけではとても手が足りず深刻な人手不足となりました。その救済処置の1つとして殿試の免除そして若干名ではございますが郷試の合格者で特に優れていて国に貢献できると認められたものに限り地方官吏として認めるという制度ができたのでございます。ご存じりませでしたか?」
「…初めて知ったのだ…」
「井宿様の当時の成績は郷試合格としてはギリギリではございましたが1回目の試験であり若干18歳であるということ、何より朱雀七星士井宿としてのご活躍をを考慮すればこれ以上の人材はおりません」
 人生どう転がるか分からないというが、今のこの状況だと井宿は思う。
 象棋を指しに来たはずだったのに、いつのまにか故郷に行き、生き別れていた叔父との再会。そして昔あれほど必死に勉強していて目指していた役人に今あっさりとなれるという。
 全てが突然のことすぎて処理しきれない。
「役人に…俺が…」
「我々としても井宿様が役人となられたらこれほど嬉しいことはございません」
『この能力(ちから)は権力のある場所では決して使うものではない。この能力(ちから)は権力のある場所では決して使うものではない』
 奎宿の言葉がよみがえる。
 郷試に合格しているとはいえ、七星としての行いを認められての採用となれば能力を使うことは前提となるだろう。
 権力のある場所で。
 阻止できなかった戦争によって出来た孤児たちが安心して暮らせる場所を作りたいと思う。
 叔父の言うように生まれ育った故郷を復興させたいと思う。
 けれど…
 使い方次第でこの能力(ちから)は良くも悪くもなる。
 本当にやろうと思えば一国を滅ぼすことすらできるのだ。七星士1人の力でも。
「孤児の救済、復興の話はオイラに出来ることなら協力したいと思うのだ。…役人の話は少し、考えさせてほしいのだ」
 能力があってもなくても結局は無力ではないのだろうか。
「わかりました」
 目的のために個人で出来ることなんて限られている。だが人外の大きな能力(ちから)を持った自分が権力のある場所にいるということはそれだけで災いとすらなる。
 使い方次第だと言われたらそれまでなのだが、決心はまだつかない。
 だが1つだけ分かったことがある。
 生きようと、生き返ろうという力は強い。自然も人も。
 俺はこれからどう生きるか、そしてどう能力(ちから)と付き合うかを考えなくてはいけないんだ。
 目の前で復興へむけ勤しむ彼らが眩しかった。





========

旅をするのもいいけど、故郷にも目を向けてほしいなという願いからの妄想です。
飛皋のことや洪水のことを思い出すだろうけど、やっぱり生まれ育った土地だから。
この先井宿がどうするかは別の話v
というか、叔父さん登場させるつもりなかったのに…
栄陽に住んでいて役人をしている叔父さんを無視することは出来なかった^^;
でも数少ない井宿の人脈ですv
あ。右大臣は井宿と仲がいいという脳内設定です。


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