気づくとそこは闇だった。
いや、闇というには語弊がある。彼にとってそこは「闇」だった。
色も音も、触覚嗅覚五感すべて感じることすら出来ない。意識だけがそこにあるといったほうがしっくりくる。
その意識すらも強く自分を保っていないと広がる闇の恐怖に飲み込まれてしまいそうだ。
意識を集中すると頭に浮かんだのは最期の記憶。
親友と雨の中で対峙したあの時。
今まで見たことのない穏やかで優しいあいつの憤怒の顔。
あの時は戸惑いと自責の念で気づかなかったが、
ーーー泣きそうな顔してたな、あいつ・・・
誰よりも戸惑いと恐怖していたのはあいつではなかったのだろうか?
3人の関係だけでなく自身の変化にも。
手にしたナイフは僅かに震えていた。
あいつがナイフ・・・他人を傷つける道具を持っているのを見たことあっただろうか?
人どころか動物や植物にも分け隔てなく接していたあいつがそんなものを持ったことがあるわけがない。
・・・持たせたのは俺か・・・それほどまでに傷ついていたのか。
あの呆れるほどへらへらした笑い顔がひどく遠い。
そこまで考えて思った。
何故そこまで鮮明にあの時のことを思い出せるのだろう?
ーーー誰だ!
声にはならないが心の限り叫んだ。
「くくく・・・思ったより使えるやもしれぬな・・・」
どこから声が聞こえた。
若い男のようだがとても好印象を持たせる感じではない。むしろ・・・
「流石は朱雀七星士間近で見ていた、といったところか。もっとも七星士と呼べるかは別だがな・・・」
朱雀七星士、だと?
「無意識で能力を使っていたことも一度や二度ではなかろう。幼き頃より共に時を過ごしてた者ならば分かるだろう?」
幼き頃より共に時を過ごした・・・芳准のことか・・・
不気味な声は笑った。
ーーー芳准に何かしたのか!!
叫びに応えたかのように飛皋の意識の中に1人の男が現れた。
「ナニカをしたのは我ではなかろう。それによって助かったかもしれぬ命を自ら失ったのではないか」
誰よりもその「ナニカ」は理解している。だがそれよりもこの不気味な男は、気に入らない。飛皋はそう思った。
「我が与えたのはきっかけのみ」
ーーーきっかけだと?
問いには答えずまるであざ笑うかのようにやにやとこちらを見るのみ。
「幼馴染のあの男はどうなったと思う?」
豪雨の中川へ足を滑らせた自分の手を握った芳准。
あの時、自分の危険を顧みず持っていたナイフを投げ捨て迷わずに手を取ってくれた。
やはり。と思う。
本心で俺を傷つけるために持っていたものではなかった。
ならばどうなったあの後・・・あの水量で支えきれるはずがない。
瞬間、あの後の出来事が映像のように飛皋の意識の中に入った。
決して離さぬと力の限り握られた親友の手。だがそれはあっけなく離れた。
ーーー流木っ!
左目に大きな傷を負い芳准は意識を失った。だから離れた。
ーーー芳准・・・
この先は見なくても分かる。親友の最期など見たくないと意識をそらそうとするが映像は勝手に意識に流れ込む。
飛皋と同じく濁流にのまれた芳准の体が紅く光ったと思ったら、それは次第に大きくなり芳准を包み込んだ。
ふわりと重力を感じさせずにそれは4.5メートルほど浮いた。
破れたズボンの隙間から「井」の文字が紅く光っている。
ーーー朱雀、七星士・・・井宿
紅い空間はほんの少しでも癒しの効果があったのか重症を負い濁流にも飲まれた芳准が目をうっすらと目を開けた。
映像はそこで終わった。
意識の戻った芳准の見た現実は地獄でしかないだろう。
「あの男はこれからどうすると思う?」
問われずとも考えてしまう。
そして誰よりも芳准のことを知っている俺には分かる。
助けれなかったと、自分1人生き残ったと自責の念に苛まれ、死を選ぶだろう。
「街をいくつも飲み込むほどの洪水で結界を張り助かるほどの能力。なぜ自らのみを助けた?」
それは俺が、あいつの彼女を・・・だから
助かってよかった、そう思う反面芳准にとっては死のほうがどれだけ優しいだろう。
生かされたのは朱雀の証を持っていたからか。
おそらく、どれだけ死を望もうとも許されない。無意識に自らを守るのだろう。あの洪水の時のように。
「あの男に、会いたいとは思わぬか?」
この言葉は麻薬と同じだ。
不気味な男は信じられない。
俺になぜ!朱雀七星士井宿の親友の魂を拾い出しそんな言葉を持ちかける?
朱雀七星の一人を助けたいと思うのなら俺ではなく芳准に手を貸すべきだ。
この男は芳准にとって災いとしかならない男。
けれど取ってしまう。この男の手を。
どんな形でも芳准の助けになりたいから。
助けになるのならば、どんな形でも救いたいから。
「今のお前は玉に魂を媒介したもの。望むのなら生まれ変わるがよい。朱雀七星士井宿と会うがよい」
俺は、甘い甘い麻薬のような言葉の手を取った。
次に目を覚ました時は、あまりにも普通すぎたので驚いた。
生前と同じ型をした魂の入れ物。
体を動かしてみると、やはり記憶にあるものと同じもの。
この体で「生まれ変わる」ということなのだろう。
違いといえば、今まで感じなかった「何か」を感じること。
全身に流れる血の音のようだ。だがそれは耳障りなわけでもなく意識したら感じる程度のわずかなもの。
なんなんだ、これは・・・
けれど意識すればするほど感じる音に戸惑いながら茫然と手を眺めると信じられないことが起こった。
まぎれもなくそれは自身の手。だがそこから液体が飛び出したのだ。
手を丸くして液体を落とさぬようにして観察してみる。透明のそれはまるで水のようだ。
「新しい体は気に入ったか。その体は旱魃や雨を意のまま操ることが出来る」
「旱魃や雨を?そんなことが出来るのか!」
この不気味な男が用意したこの体は、雨を操ることが出来る。
そんなことが、出来るのか・・・
「あの洪水は、故郷を襲ったあの豪雨はまさか!」
この男は芳准を、朱雀七星士を使って何かをしようとしている。
くくくと、男の不気味な笑い声が響く。
「能力を持った術者というのはやっかいなもの。だが若い未熟な術者ならば?」
七星士はやがて現れる巫女を守るために特殊な能力を持っているという。
芳准の能力は知らない。だがあの洪水から助かった理由はこの男のいう術者だから。
「俺たちの故郷に何をした!!!」
感情と共に水の塊が不気味な男を襲った。
「早速、操ることが出来るか・・・」
だが男が手を前に出しただけであっけなく水の塊ははじかれた。
「芳准に何をするつもりだ!!!!」
魂の叫びだった。
なぜ男の手を取った?
なぜ芳准との再会を願った?
他に手はなかったのか?
なぜ、男の手を取った!!!
グラリと体が揺れた。
「魂が定着するまで眠るがよい」
能力を使ったためか、男が何かをしたのか突然強烈な眠気が襲った。抵抗もむなしく飛皋はその場に倒れた。
負の感情の渦巻く闇の中で、飛皋は眠りについた。
この闇の中では不の感情が活力となる。この飛皋の感情も闇の、飛皋の望む芳准の再会の害としかなるものでしかならない。
生きて残ったのが幸だったのか、死んでしまったほうが幸だったのか。
この時の彼らにとっては何も知らず一族と運命を共にしたほうが幸せだっただろう。
彼ら、飛皋と芳准の命運を分けたのは2人に手を差し伸べたものの違い。
芳准へ最初の救いの手を差し伸べたのは、故郷近くの高台の寺院だった。
難を逃れた寺院は積極的に被害者を受け入れ、治療した。
芳准もその1人だった。
傷の深さ、衛生環境の問題。
助からないだろうと思われた芳准も派遣されてきた医師や寺院の看護、精神的なケアにも恵まれ僧として寺院で過ごすようになった。
誰かのために何かが出来るという小さな意志を持った芳准に能力を使いこなせれば、天災を乗り越えられてない芳准に先輩僧の誰かが教えたのも生きる意志のため。
けれどそれが芳准を追い詰めた。
使い方は分からない。だから本能のまま強く思い念を込めるだけ。それだけで能力が使えたのだ。
使えるようになってくるとそれまで何故使えなかったのかが不思議だった。
その不思議が自分への不甲斐なさ、そして助けようと思えば助けれたんだと芳准は知った。
重圧と自責そして後悔の念に駆られて意志を見失った芳准に別の寺院を紹介した。
故郷近くのこの寺院では自分を取り戻すことは難しいだろうという住職の判断だった。だが紹介先まで付き添ってくれるという僧を半ば撒くような形で芳准は1人を選んだ。
1人を選んでも何かが変わるわけではない。けれど何度も何度も「出来ることがある」と諭した僧たちの言葉は芳准の心には引っかかっていた。
ほんの少しの可能性に縋って能力を使えるようにと考えた。だが不安定な精神状態で「術」という特殊な能力は使えるわけもなく元来努力家の芳准は徐々に「初めて能力を使った時の状況」と考えるようになった。
肉体的にも精神的にも無茶をはじめ悪循環をたどる芳准に救いの手を差し伸べたのは天帝、太一君だった。
本来七星士とはいえ天帝がただの人間に手を貸すなんてことありえない。けれど世界を見守る太一君には見過ごせない闇の存在があった。
青龍の術者と朱雀の術者両方が闇の手に染まる事態は避けるべきだ。
弱くもあり強くもある若者はどちらにも染まりやすい。けれど幼き頃より崇拝していたあの術者は井宿は違う。
だから太一君は井宿に手を貸した。いや事情がなくとも手を貸したのかもしれない。その純粋さ故に苦しむ井宿を。
正直なところ芳准、井宿には不満ばかりだった。
すべてをなくした井宿にとって生きる理由は自分の出来ること、つまりは能力を使えるようになること。だというのに使えるようになるどころか、初歩の修行さえさせてもらえない。
太一君が井宿に与えたのは「生きる環境」だった。
一番今の井宿にかけているものを学ぶこと。すべてはそこからだった。
拾われた直後は衰弱していた井宿も食事と休息で随分と回復したが、やせ細った体を元に戻すのは時間がかかる。
娘娘に山菜や野草の見分け方を教わり調理する。覚えたことも覚えきれないこともすべて書かされた。
慣れてくると娘娘がランダムで選んだ場所に1人で行かされた。
どこの地方に飛ばされたのかは分からないが空気や気温、湿度。色や形そこから自分で判断して食べれるものを探す。
体力もついてくると大型の動物や弱い妖魔がいるような場所へも飛ばした。
自力で術のコツを覚えてくるといつしか瞬間移動を覚え自分で行くようになった。
手を貸さずとも生きていけるように。対処できるように。それが天帝である太一君にできる精一杯の助力だった。
徐々に本来の明るさを取り戻してくる井宿だが対人関係に関しては太一君たちだけではどうしようもなかった。
ある日娘娘に連れられてどこかの場所へ降り立ち、井宿はその場所を見て驚いた。
「ここは?」
「たまにはお散歩するねー!」
「お、さん、ぽ!?」
元気よく井宿の手を握り歩き出す娘娘に困惑と警戒の色を隠せない。
田んぼの並ぶこんな農村地帯に何の用があるのか?それよりも・・・
「娘娘ここは…」
「大丈夫大丈夫!」
にっこり笑う娘娘に手を引かれ拓けた場所に出た。そこは草花が生えた小さなお花畑だった。
可愛い幼子が駆け回る姿は微笑ましく見るものを和ますだろう。
思い出したかのように井宿の様子を見た娘娘はゆっくりと近づいて後ろから思いっきり口を引っ張る。
声にならない悲鳴を上げしばしの格闘の後娘娘は口を尖らせた。
「もぉ!せっかくこーんなきれいなお花畑に来たのに何してるね!」
その口調は人間の幼子と同じもの。だが娘娘が指さしたのは井宿の手にある薬草。
「え・・・」
「え?じゃないね!」
「いや、どんな時でも常備するよう心掛けろと言ったのは娘娘では・・・」
「ドクダミもカキドオシも大極山にたくさんあるね!井宿はここに来て薬草しか見えないね?」
そう言われてまわりを見渡す。
蝶が舞い色とりどりの花が咲いている。穏やかな日差しに目を細めていると娘娘に押し倒され寝ころんだ。
「ゆっくりするね!」
笑顔の中に真剣な目が見え隠れしている。
そういえば・・・
ここのところ娘娘のいうように周りを見渡す余裕なんてなかったような気がする。
ただひたすら目的を達成することに集中していた。小鳥のさえずりなどどれぐらいぶりだろう。
パサパサパサと草を踏む足音に視線を寄せれば娘娘が何やら抱えてこちらにかけてくる。
娘娘の足音なんて聞いたことあったっけ?と頭の隅で考える。
上から覗き込む影。
「娘娘?」
にま~っと笑う娘娘に嫌な予感がするが、頭の上・・・というより顔の上にそっと置かれたものは首飾り。
遠い昔、妹にせがまれ作ったことがあったな・・・と思って胸が痛くなる。
ーーー男がそんなの貰ってもうれしくないだろ?
幼馴染にはそんなことも言ったことがある。でもそれは親友が使ってた言葉そっくりそのまま。
案の定困った顔をして、それでも半ば強引に押し付ける形で渡され親友に笑われた。思わず俺たちも笑った。
「・・・っぐぇ…」
突然腹の上に衝撃がかかり・・・娘娘がいた。
「娘娘っ!」
そういうのだけは本当にやめてくれと涙目で訴えるが聞き入れる様子はなさそうだ。
「井宿・・・今は井宿ね。だけど井宿は芳准ね。井宿は、一人じゃないね」
珍しく真剣な、でも悲しい瞳に言葉が出なかった。
「娘娘帰るね!」
ポンと地を蹴り立ち上がる。振り返ったのはいつもの笑顔。
「井宿は自分で帰ってくるね」
手を振りそのまま文字通り消えた。
一人じゃない、太一君も娘娘もたびたび自分に向かっていう言葉。
天災直後に比べれば一人ではない。親身にとは言えないが芳准のことを考えてくれる人がいる。
だから一人ではない。
けれどヒトではない。
「あっれぇ~!」
子供の声。足音。
近づいてくる・・・
「ねぇねぇお兄ちゃん」
そっとその場を去ろうとしたがガシリと服をつかまれた。
「お兄ちゃんと一緒に女の子いなかった?」
一緒にあそぼうと思ったのに・・・と小さく続いた。
けれど井宿にはそれどころではない。
幼い子が自分のこの傷を見れば確実に泣く。
握ったこぶしが汗ばむ。
子供が泣くものだと井宿は思っているだが今のこの状況では井宿は否定されたようなもの。
嫌だまた。
心の奥に潜めた本音が顔を出す。
「ねぇ聞いてる?」
理性が心を護ろうと考えるが子供が服を引くたびに頭が真っ白になっていく。
「ねぇねぇ」
耐え切れずに芳准の顔を覗き込む、そんな気配を感じて井宿はあわてた。瞬間どこからか白い煙が噴き出した。
「ここには娘娘はいないから!」
それだけ子供に振り返りながら言うとその場から姿を消した。
大極山に戻った井宿を迎えたのは呆れ顔の太一君だった。
「なんじゃその恰好は?」
え?と一瞬目を見開いて自分の姿を確認したがおかしいところはない。だが太一君がどこからか出した鏡を覗いて絶句した。
それは目の傷のなかった18の頃の姿だった。
言葉を失っている井宿にかけた言葉はやはり呆れた声だった。
「器用というか不器用というか・・・」
同じ時を過ごし、何をするのも一緒だった親友。
時の悪戯ですれ違い、永遠の別れとなるはずだった二人は七年後再会を果たすこととなる。
陽の神に拾われた芳准と陰の神に拾われた飛皋。
再会は太陽の光となるのだろうか。
終わり