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予定時刻よりは早いが、待ち合わせ時間はとうに過ぎている。色とりどりに装飾された街並みを横目で目的地へと急ぐ。
恋人たちの日だと仲間は目を輝かせていたが、残念ながらクリスマスと同時に社会人にとってはただの月末であり年度末である。
しかも忘年会だの新年会だのと「仕事の一環」というやっかいな行事もあり、師走とはよく言ったもので、上司も部下も関係なしにあわただしい日々が過ぎている。
実際師走に入ってからは定時に上がったことは一度もない。
そんな社会人の事情を知ってか知らずか学生生活を送る仲間たちから「クリスマス会」なるものに招待された。
「おっそーい!」
遅いといっても7時集合の7時半である。井宿としては早いくらいだ。しかし井宿以外の仲間たちはすでにそろっているようである。
「井宿さん、お仕事お疲れ様です」
「外は寒かっただろう」
温かいおしぼりを手渡す軫宿の横に軫宿の恋人の少華がいるのにわずかに目を開く。
軫宿の恋人という間柄で仲間たちと直接つながりのない彼女がこの場にいるのは珍しい。何かあるのだろうか?と頭の隅で思う。
だが鬼宿の横には美朱、星宿の横には柳宿が座っており、なるほど恋人たちの日だと一人納得する。
もっとも美朱は一心不乱に目の前の料理を口に運んでいるし、星宿にぴったりと引っ付くように座っている柳宿の場合は半ば無理やり星宿の横を陣取ったのだろう。
「どうぞ」
ドリンクメニューを見ていると少華が大皿に載っている料理をいくつか取り分けてくれた。
「ありがとうなのだ」
「確かに」
美朱はいつものことだとはいえ、育ち盛りの男がそろったこのメンバーにうかうかしていたらすべて食べ物はとられてしまうだろう。
「あとはあの二人だけね?」
「だ?攻児君と誰を呼んだのだ?」
「攻児は今日バイトやて…ちょ…美朱焼き鳥全部喰うなや!」
「えー!この焼き鳥すっごくおいしいんだもん!」
「俺まだ食うてへん!」
「そんなことで言い争わないの、注文したらいいでしょ!」
「やったー!」
今度は何を注文するかでメニューを取り合う美朱と翼宿。仲がいいというかなんというか。
「確かに学生は稼ぎ時なのだ」
「ほんとにバイトなのかしらねぇ。それよりも飲み物決まったの?井宿」
「だーじゃあ。ウーロン茶にするのだ」
失礼します、と戸が開き店員の後ろに立っていた人物を見てキツネ目を見開いた。 「あんたたち遅いじゃないの!」
「わりーわりー」
「だ?飛皋、それに香蘭…」
今日は七星士の集まりだと思っていたのだが、少華がいたうえに幼馴染の飛皋と香蘭まで。
「私が呼んだのよ。今日はクリスマスよ、恋人同士を引き離すなんて野暮なことするわけないじゃないの。ねー、星宿さまぁ~」
「あ、あぁ」
腕組みをされた星宿が若干引きつるのが一瞬見えた。確かに的を射ているがそれならばで今日この日に集まるだろうか?
「俺生」
「私はノンアルコールのカシスオレンジをお願い」
「生2つとカシスオレンジ1つね!あとはこっちから注文聞いて頂戴」
当然とばかりに注文される。
「だ!オイラウーロン茶…」
「なーに情けない事言ってんのよ!男ならビールの5杯や6杯いっときなさいよ!」
「む、無茶言わないのだ!」
大体ほとんど未成年の集まりに保護者役の自分たちが酔っ払う訳にはいかない。
それに酒は得意ではない。
「そうそうやめといたほうがいいって。こいつ酔っ払ったら…」
「よ!余計なことは言わなくていいのだ飛皋!!」
過去を知るというのは本当にやっかいなもので悪友はにやにやと笑いながらこちらの反応を窺っている。
「何々?井宿が酔っ払ったらどうなるって?」
案の定柳宿は興味を示す。
「実はな…」
「だーーーーーー!!!!!!!!!言わなくていいのだ!大体飛皋はそんなこと言うためにここに来たのだ?だったらとっとと帰るのだ!!」
断固阻止するしかない。
「親友のためにひと肌脱いだこの俺にそんなこというのかよ?」
「ひと肌?何かしたのだ?」
こういう物言いの時は大抵悪ふざけである。
「飛皋?」
キッ!っとキツネ目を吊り上げるが迫力はたかが知れている。
「そんな顔すんなって。これからわかるって」
にやにやと井宿と香蘭を見て笑う飛皋はなんとも居心地悪い。
「はいはい、喧嘩しないで。全員そろったし飲み物も来たし乾杯するわよ!」
その言葉に全員が飲み物に手をかける。
「乾杯をするんだけど、その前に軫宿から話があるみたいよ!」
「話?」
注目された軫宿はわずかに青ざめ固いものとなる。
「柳宿、やはり言わなくてはいけないのか?」
「当然よ!」
きっぱりとした柳宿らしい物言いに視線をしばし迷わせ、決意したのか真剣な表情になった。
「じ、実は…」
「実は?」
「………」
「………」
「………」
軫宿の言葉を固唾を呑んで見守るがもじもじとあの大きな体には似合わない。沈黙が流れるだけ。
「…俺たち…」
「………」
ブチン。
「ああもう!男なら男らしくはっきりいいなさいよね!じれったい!」
「実はの次がなんやねん!!!」
「ちょっと待つのだ。軫宿がこれほど躊躇っているのだ。軫宿は君たちより繊細なのだ!」
「私のどこが図太いのよ井宿!」
ぐわっ!と目を見開いて詰め寄る柳宿に思わず一歩引く井宿。
「軫宿もさっさといいなさいよね!それともあたしから言ってほしいの!?」
「…いや、俺が言う」
テーブルの上のウーロン茶を一気に飲むと大きく息をはいた。
「俺たち」
大きな体に似合わぬ小さな声。
「寿安」
少華が軫宿に小さくうなづくと軫宿も頷く。
「婚約したんだ」
その途端歓声が沸く。
「結婚は大学を出て俺の仕事が見つかってからだからまだまだ先になるが…」
「寿安にとって今からが一番大切で大変な時期なの。だから私が支えたいの」
医者を目指す軫宿にとって医者として働くまで険しくて困難な道だ。けれど仲間たちの関心は「婚約」「結婚」という事実で軫宿と少華は質問攻めである。
はやし立てられ居心地悪そうに仏頂面をする軫宿にとってこういう発表はしたくなかつたんだろうなぁと他人事に井宿は思う。だが、
「次は井宿たちよね!」
「だ?」
突然話題を振られ思わず逃げ腰になる。
「付き合ってもう6年だろ?結婚しておかしくねーよな?」
「だ…」
「6年?女を待たせちゃだめよ」
「だだっ…」
「社会人になって2年目だろ?いい時期じゃねーか」
まだ社会に出て間もないから…とか
「僕はまだ子供なので難しいことは分かりませんが、井宿さんと香蘭さん、お似合いだと思います」
香蘭と飛皋と。仲良しの幼馴染の関係を壊したくない…とか
そんなの本当は言い訳。
「香蘭さんすっごくきれいなんだからのんびりしてるととられちゃうわよ?」
「そうそう。なんなら俺が香蘭とっちまうぞ?」
にやっと笑う飛皋に思わずムキになる。
「な、何を言っているのだ飛皋!」
「だったら、男らしく腹くくれよ」
にんまりと笑う飛皋や柳宿に、やられた。と思った。
飛皋と柳宿は軫宿の事情を知っていて、のらりくらりとかわしてきた香蘭との関係を持ち合げられ、仲間たちはここぞとばかりに。井宿は背中に冷たいものが流れるのを感じた。
目に映ったのは見慣れない天井。
確か昨日珍しく宿屋に泊ったのだった。とぼんやりとした頭で思い出す。
寝起きがいいとはいいほうではないが、今日のはいつも以上に寝台からすぐに上がることができない。
「にゃ?」
たまがペロリと井宿の頬を舐める。
軽く頭を撫でると気持ちよさそうに目を細めるが、すぐにたまは井宿の袖をひっぱり鳴いた。
外を見るといつもよりはのんびりした時間。
「お腹が空いたのだね」
早くしろと急かすたまを制止しながら身支度を整える。
内容はまったく覚えていないが、なんだか楽しい夢を見たような気がするのだ。
終
そこからニョキニョキと脚、体、頭と出て人の形を成す。
その奇妙な光景に驚くものは誰一人いない。その姿を見てわらわらと同じ姿をした幼子たちがわらわらと近寄ってくる。
嬉しそうに次々と声をかける幼子たちに小さく「久しぶりなのだ」と傘から出た男は答えただけでこの地の主の元へと歩く。
「お久しぶりですのだ、太一君」
「面倒事を持ってきおって」
ふぅとため息をつきながらもどこか楽しそうににやりと笑う師に苦笑してここに来た目的を話す。
「美朱と鬼宿は?」
「治療したね!」
「治療したね!」
「大丈夫ね!」
「治ったね!」
「治ったね!」
「えーい!やかましい!!!」
太一君が手をポンとたたくと娘娘たちは玉に姿を変える。いつもの光景に井宿も今更驚くことはない。
「美朱と鬼宿は治療が終わり今は眠っておる。じきに目覚めるじゃろう」
「ありがとうございますなのだ」
「なんじゃ、辛気臭い顔をしておるのう」
「久しぶりに本気で術を使ったので少し疲れただけですのだ」
「フン…やれやれこの程度でバテておっては先が思いやられるのう」
その言葉に一瞬井宿は眉をひそめ僅かに太一君から視線をそらす。
「まぁよい。美朱たちが目を覚ますまでお主も少し休むがよい」
「…はい」
ふぅ。とため息をして座り込む。
体に少しだるさが残る。だが経験上これくらいならすぐに回復するだろう。
しかし体の疲れよりも井宿の心に重くのしかかるものがあった。
青龍七星士心宿という男…
どのような七星士がいるかは検討もつかないが倶東国将軍という立場に青龍の巫女への接し方、どうやら心宿が中心人物と見て恐らく間違いはないだろう。
気乗りしないあの娘を巫女へと担ぎ上げていた。
「あの二人…」
昔から倶東国は紅南国を欲している。
現在は条約により表立った動きはないが、裏では…引き金さえあれば倶東国は紅南国へ攻め入ってもおかしくないというのが現状だ。
国力は火を見るより明らかで、紅南国に勝ち目などないだろう。
弱小の紅南国にできるのは一刻も早く朱雀を呼び出すこと。
朱雀と青龍の巫女が同時に現れるということは下手をすれば戦争にすらなりえる。
そして、そして朱雀の巫女と青龍の巫女は友達同士だという。
「…っ!」
こみ上げるものを押し込むように頭を振る。
だが頭は井宿の意思とは別に考えることをやめようとはしない。
紅南を欲している倶東は朱雀の巫女は何よりの邪魔だ。だとしたらあの二人は、友達同士のあの二人は望まぬ争いに巻き込まれる。
対峙した青龍七星士の心宿は美朱の友達という関係すら利用しようするような冷酷な男だった。
美朱を信じる。そう言った彼女は目に見えない傷を負っているかのように痛々しく心宿の口車に乗っただけとは思えない彼女の行動。
信じたくて、信じたくて、でも一度憎んでしまった気持ちは抑えることができない。
何があったかは知らないが、同調したかのように井宿には彼女の気持ちが聞こえた気がした。
ああ。あの時の自分と同じではないか。
知らずに握りしめたこぶしはじっとりと汗ばんでいた。
脳裏に浮かぶのは親友が自分に助けを求めたあの瞬間。
「芳准、助け…」
繋いだ手はあっけなく長年築いた絆と共に離れてしまった。
どんな事情があるにしろ親友の手を離したことに、俺が親友を殺したことに変わりはないんだ。
下界にはない大極山での清浄な空気は井宿に意識を現実に引き戻す。
敵でも見るかのように睨んでいた自らの右手を握っている。
「こんなことでは朱雀の巫女を守ることなどできないのだ」
過去にとらわれているようでいかない。
こういう時はいつも瞑想をする。
術を志す者にとって瞑想は基本中の基本だ。スイッチを入れるように切り替えることができなければ術など扱うことはできない。
自分の意思を切り離して意識を深く深く、集中する。
「そうしてまた逃げる気か、井宿よ」
突然頭に響いてきた声に驚き集中が途切れる。
この声は、
「……太一君…」
オイラは…
「逃げているつもりはないと申すか?」
太一君には嘘などつけない。だが
「朱雀七星は朱雀を呼び出すため、巫女を護るために存在する。オイラは井宿として巫女を護りきる」
そのためだけに、その役割のためだけにこの能力(ちから)を自在に扱えるように修業してきたのだ。今更違えるつもりはない。
「巫女への試練だけが七人いる理由だと思うか?」
巫女が自力で七星を集めるという話は修業時代に聞いたことがある。だがそれが今関係があることなのか…
はぁ。と息を吐く音が聞こえた。
「井宿よ、七人いる理由を考えてみよ」
仲間である鬼宿や柳宿は気もろくに読めない。術者とはとても思えなかった。能力はそれぞれ違うということだろう。
その方がいいと井宿は思う。術者は遠距離を得意とする。戦闘となれば接近戦はまったく役に立たないのだから。
それぞれに特化した能力で得意とする場面で守ればいい。
ふと仲間たちが頭に浮かんだ。
美朱をはじめ、鬼宿柳宿は意識が随分足りないように井宿には思えた。
まだまだ子供だからといえばそうなのかもしれないが、七星の一人として巫女を護り朱雀を呼び出すためだけの3年間を過ごした井宿にとっては頼りない仲間だった。
術者でないとはいえ巫女の気を見失う。巫女自ら敵国へ一人で赴く。巫女だけでなく全員がバラバラの行動。一体何を信じればよいというのだろう。
だからこそ自分がやらなければいけないと心に決めた。
考えようによっては何よりも便利なこの能力(ちから)を有効に利用し朱雀を呼び出すことを最優先とする。
七人いることがなんだというのだ。朱雀を呼び出せばよいのだ。
「大馬鹿者がっ!」
怒鳴り声が頭に響き肩をすくめる。
思わず瞑った目を開ければ目の前に叱咤の迫力と寸分違わぬ太一君がいた。
「お前にとって友は後悔と罪だけの存在か」
「………っ!」
即座に否定できないのはあの事件のことは意識して考えないようにしていたから。
「……ちがっ…」
生きるしかなかったから。
能力(ちから)を使えるようにしなければ、生きる意味などなかったから。
術者にとって集中できないことは存在理由ないことと同意だから。だから考えないようにした。
「……ちがぅ……あいつは、飛皋は…」
何かを感じ顔を上げると同時に衝撃が走ると同時に吹っ飛ばされる。
「~~~っ!」
これまでの経験から原因を瞬時に思い浮かべる。痛む体を抑え立ち上がり言葉を発する前に太一君のほうが先に口を開く。
「今のお前が術者と言えるのか?至近距離でのわしの気にまったく気づかぬお前に鬼宿や柳宿を否定する資格があるというのか?」
何も言えず口をつぐむ。
「術者がこの程度で気を乱すとは片腹痛いわ。朱雀召喚どころかこの先お前のせいで巫女や仲間を失うことにすらなるわ。己が成すべきことを考えよ」
それだけ言うとフッと太一君その場から文字通り消えた。
ダンッ!
思いっきり地を拳で叩く。
無性に悔しい、何も言えなかった。
太一君の言うとおりだった。
あれが太一君ではなく巫女を狙った敵からの攻撃だとするとぞっとする。
誰よりも早く気づくべき自分は、意識が足りない、子供だと否定した仲間と同じ…いやそれ以下ではないか。
結局は保身を第一に、自分のことしか考えていなかったのだ。
しかし、どうすればいいというのだ。巫女はすでに降り立ち、倶東という敵もいる。悩む時間などもうない。
美朱と青龍の巫女は友達同士。何やら事情があり青龍の巫女は美朱を恨んでいる。
二人が対峙したとき心を乱さぬ自信があるかといえば、否だ。
今更ながら精神修行が足りぬといった太一君の言葉が重くのしかかる。
「今弱いなら、これから強くなればいいね」
声が心に響いてきた。
――娘娘。
「みんな最初は弱いね。それが人間ね」
「だから人間強いね」
「井宿は、美朱と青龍の巫女が恨みあってもいいと思うね?」
「井宿も井宿の親友も、美朱も青龍の巫女も弱いね」
「だから揺れるね」
「でも人間ほんとはとっても強いね!」
「井宿は美朱と青龍の巫女が敵になってもいいね?」
「青龍の巫女の気持ち、井宿は分かってるね」
「美朱はまだ子供ね」
「だから大人がしっかりするね!」
「井宿なら出来る。支えてあげるね」
包み込むような優しさに涙がこぼれた。
不安だったのだ。本当は。
認識のまったく違う仲間たち。どうすれば巫女が守れるのか。
自分一人でも。という決意は二人の関係を知り自信がなくなった。ただそれを認めたくはなくて。
押し込めるだけではだめなのだ。誰よりも彼女の気持ちが理解出来る。だからこそ自分たちのように最悪な結末にはならないように支えるべきなのだ。
親友を探しに一人で倶東へ行って娘が、親友の身を案じ、真偽を確かめるためにまた倶東へ行きかねない。
いや、あの娘なら行くのだろう。周囲がどれだけ止めても。
過去のことを考えればやはり胸は押しつぶされそうだ。だがそれ以上に自分たちのようになってはいけないという想いがあるのも事実だ。
倶東から撤退する場所は実際どこでもよかったが、師のいる大極山を選んだのは散々文句は言うだろうが美朱の治療をしてくれるだろうと思っての行動だった。
だが、もしかしたら無意識に太一君に活を入れてほしかったのかもしれない。心を乱している自分へ。
情けない。
「太一君に怒られて当たり前なのだ…」
また頼ってしまった。
自分の足で立っているつもりだった。結局は指針なしでは役目を見失うところだった。
「俺は朱雀七星、井宿だ」
揺れているようではだめだ。朱雀の巫女を護るのは俺に与えられた使命だ。
そう。改めて決意する。
「井宿ー!あれ傷だらけね!娘娘治してあげるね」
「ありがとうなのだ。って…ぬ、脱がさなくてもいいのだっ!」
「脱がさないと治療できないね!」
「嘘なのだ、それ絶対嘘なのだっ」
「恥ずかしがらなくていいねー!」
「いいねー!」
「だーーーー!!!!しかも増えてるのだ~~~~~!」
娘娘の気が流れてくるのがわかる。暖かくて心地よかった。
治療が終わり服を整え直す。
「美朱たちが目を覚ましそうね」
「迎えに行くね」
気持ちを切り替えていつもの笑顔で。
「分かったのだ」
今自分にできるのは自分のものさしで最前を尽くすことなのだ。
終
「いっちばーん!」
「ずるいよ飛皋!突然走り出して勝負なんて!」
やや遅れて到着した芳准が頬を膨らますがそんなことどこふく風、ケラケラと笑い飛ばす。
「怒るなって」
「怒ってないよ・・・ねぇ、それよりもこれしようよ!」
そういって差し出すように飛皋に見せたのは50cmほどの棒状に巻かれた布が2つ。
「なんだそれ?」
布に巻かれ紐を解くと何本かの細い棒が出てくる。それは組み立て式になっていたらしく細い棒を太い棒の上へと繋げていくと大人の背丈ほどの長い棒が2本出来た。
一緒に入ってあった糸を棒の先にくくりつけると、
「これって釣り竿だよね?」
それはまさに新しいおもちゃを手に入れた子供。きらきらと目を輝かせた芳准に一瞬たじろぐ。
「うちの納屋から出てきたんだ!一緒に釣りをしようよ!」
にっこりと笑う芳准に飛皋は思わず頷いた。
「あ~!飛皋ダメだって!」
しかしが釣りをしていたのは最初だけで、あることに気づいて飛皋はそうそうに飽きてしまった。
「魚逃げちゃうよ!」
「そんな竿で釣れるわけないだろう!」
そう、釣り竿と言ってもそれは見た目だけで、重りがついた糸が川に沈んでいるだけで、餌どころか針すらないのだ。
「釣れなくてもいいの。こうやって座って魚を待っているだけでも楽しいでしょ!」
風が気持ちいいし、魚が光に反射して綺麗等々と語り続ける芳准に飛皋は呆れ顔でため息。
「・・・付き合ってられねぇよ」
どうも芳准の考え方には理解できないところがある。飛皋と知り合うまでは小さい頃から女の子と遊ぶ機会が多かっただけ、とはとても思えない。
変なやつだよな。とは思うものの不思議なことに一緒にいるのが嫌だと思ったことはない。
「見てみて飛皋!釣れたよ」
ウソだろう!と振り返ると本当に魚が釣り竿の先に食いついていた。
「重りをね、赤い石に変えたんだ。きっと餌と間違えたんだね」
「・・・どんだけ間抜け魚なんだよ」
「ごめんね、餌じゃなくて」
優しく魚を外すと川に返した。
「あ!ちょ、バカ!なんで返すんだよ!そういうのは持って帰るんだよ!!」
きょとんと目を丸くする芳准に驚く。
「・・・食べるの?」
「は?そんなの」
当たり前だろ、こいつ何言ってんだ?
「おれに捕まったから・・・そうか、そうだよね。おれたちが食べる肉や魚だって誰かが捕まえたから食べられるんだよね」
魚を逃がした水面に向かって自分を納得させるようにつぶやく。
魚や肉だけでなく野菜だって小さな種から一生懸命大きくなったものだ。自分たちはそれを食べて生きている。
魚だって小さな魚や水中の生き物を食べて生きている。
それが食物連鎖。生きるためには仕方のないこととはいえまだ幼い芳准には割り切れない。
けれど自分も一生懸命生きた魚や野菜を食べて生きているのだから、貰った命の分だけ感謝して頑張って生きるんだ。
「相手に感謝を伝えるには言葉も大切だが一番大切なことはどれだけ生かせるかだ」そう教えてくれたのは父だ。
難しくて、でも理解しようと考えていたら父は優しく「笑いなさい。お前の笑顔は励みになる。今は分からなくても大きくなったら分かるから」と頭を撫でてくれた。
おれが笑えばみんなが笑ってくれる。みんなが笑うからおれも嬉しくてもっと笑顔になる。
そう思えば不安だってなことも不安じゃなくなる。怖くてもへっちゃらになれる。今ここにいることがみんなと一緒にいることが楽しいから。
「ねぇ飛皋。おれに…うわっ!」
振り返った芳准はいつもの芳准で。そう、いつものどこか抜けている芳准すぎて、振り返り際に足を滑らせて川に落ちた。
「ちょっ!芳准大丈夫かよっ!」
浅い川で尻餅をついた程度で済んだのだがは服はびちょびちょだ。
「いたたた…びっくりしたぁ」
「びっくりしたのはこっちだって!普通こんなところで足滑らすか?」
「だって滑ったんだから仕方ないじゃん!」
からかうような飛皋の言い方に一瞬ムッとして言い返す。それがおかしくて2人同時に笑い出した。
「あーあ。びしょびしょだぁ。これじゃあ遊べないね」
「また今度この続きしようぜ!」
「ねぇ今度おれにさっき飛皋がやってた水きり教えて」
「いいけどよ、結構コツがいるんだぜ?お前にできるようになるかなぁ?」
「練習すれば出来るって!」
***
「香蘭が風邪引いているってほんと?」
「・・・ほ、ほんとらしいぜ」
「いつからなの?熱あるの?高いの?大丈夫なの?」
案の定。矢継ぎ早に返ってきた言葉に小さくため息をした。
「大丈夫だって」
そう飛皋は言うが心配性な芳准に飛皋はいつも「大丈夫」と言う。
その言葉に安心するときもあるが、根拠のないその言葉は逆に不安にさせることのほうが多い。
ハの字に歪んだ眉は心配だと言葉にしなくても雄弁に芳准の心を語る。
「そんなに心配なら様子見に行こうぜ!おばさんの話だと大分よくなったってよ!」
「本当!!よかったぁ~」
それでも大丈夫だと聞いて胸をなで下ろす。
だがそれと同時にあることを思い出し恐怖にも似た不安が芳准を襲った。
「ねぇ、いつから香蘭調子悪いの?」
一瞬飛皋が目をそらした。
暢気なところのある芳准だがその一瞬の仕草を見逃さなかった。
「まさか、香蘭がおれの家に来た後すぐ?」
5日前川に落ちた芳准は次の日熱を出した。幸いそれほど高いものではなく次の日には熱も下がったのだが、芳准が熱を出したと聞いた飛皋と香蘭はお見舞いに来てくれたのだ。
芳准の具合と他愛もない会話を少ししただけなのだが、
「おれの熱がうつったの?」
「そんなわけないって。だいたいすぐに帰っただろ」
確かに2人が来てくれたことはすごく嬉しくていつまでも一緒にいたいと思った。
だが2人に風邪をうつすわけにはいかない。大丈夫だと笑う飛皋を押しのけて帰るように何度も何度も帰るように言ったのだ。
「お前と香蘭が風邪を引いたってことは風邪が流行ってんだろ?」
な!と不安そうな芳准を宥めるように言うが少しも効果はないようだ。むしろ、
「おれ、香蘭にどう謝ったらいいんだろう・・・」
ガシガシと荒々しく頭をかく。
なんだってこんなに芳准は面倒なんだろう、と飛皋は思う。
暖かくなったとはいえ水温はかなり低い。そんな川に落ちたのだから風邪を引いてもおかしくない。
香蘭が風邪を引いたのだってどこかに風邪の菌がいたからで、それが川に落ちた芳准からうつったかどうかは分からないのだ。
大体例え芳准から風邪の菌がうつったとしても風邪を引くと言うことは元々体調がよくなかったからなのだ。そうでなければ一緒にいた自分が風邪を引かないのはおかしい。
そう思うもののこうと決めたら絶対に譲らない、頑固な芳准には通じないだろう。
「お前からうつったって保証はどこにもないだろ!ほら行くぞ!」
そう言いバンっと強めに背中をたたいた。
「・・・・・・・・・う、うん・・・」
「香蘭ごめん!」
開口一番がこれだった。
飛皋は何度も否定したが香蘭の家までの間ずっと頭の中から離れなかった。
「もし、あの日川に行かなければ」「もし川で釣りをしなければ」「おれが魚を釣ったから」そんな言葉が頭の中をぐるぐると回り芳准の中で香蘭の風邪=芳准がうつしたという系図が成り立ってしまっていた。
自分が気をつけていれば風邪なんて引かなかったかもしれない。
風邪さえ引かなければ香蘭が自分を心配して家に来ることなんかなかった。
大切な、大切な人に風邪をうつして、しかも香蘭のほうが重傷で。
香蘭にうつすくらいなら自分が風邪を引いていた方がずっとよかった。
「どうしたの?突然」
ぐっと唇を噛む。
そらしたくなる目を正面へと向ける。
「・・・おれが風邪を引かなかったら香蘭は風邪を引くことなんてなかったから」
今にも泣きそうな顔をした芳准の言葉に飛皋は呆れ顔。
「だから!お前のせいじゃないって!」
「でも!」
「どうして?私の風邪と芳准の風邪は関係ないじゃない?」
「だっておれの家に来た日から風邪引いたんでしょ!」
「それは」
やっぱり、と芳准は思う。
なんてずるいんだろう。
人に風邪をうつしておいて自分はとっとと治って。
しかも、しかも、大切な幼なじみの女の子にうつしてたなんて。
涙がこぼれ落ちそうになりやや乱暴に服で拭う。
泣いているわけにはいかない。自分のせいで香蘭はもっと苦しい目にあっていたのだから。
「でもそんなの関係ないわよ」
「違う!おれがっ」
「だってそれにっ!」
とたんに咳き込む。
「大丈夫かよ香蘭」
背中をさする飛皋とは反対に芳准には立ちつくすだけで何もできない。
咳が収まった頃、背中をさする飛皋を優しくせいしてお礼を言う。
辛そうな咳だった。
「おれが、おれが・・・」
また涙が溢れてくる。
「おい芳准!いい加減にしろよ!香蘭も困ってるじゃないか!」
言われて香蘭を見ると飛皋の言うとおり困ったように眉をハの字にしている。
飛皋も香蘭も芳准が思い込んだらきかないのは知っている。だがこのままではいつまでたっても同じ事の繰り返しで何も変わらない。
「でも・・・」
「でもじゃないっ!」
怒鳴り顔で言われ一瞬怯む。
何か言葉を返そうと思うものの、飛皋に口では勝てないし、なにより自分が2人を困らせている自覚はある。
「あら?何をケンカしているの?」
部屋に入ってきたのは香蘭の母親で、飛皋がいきさつを説明すると香蘭の母親は優しく芳准に話した。
「ねぇ知ってる芳准。お隣の陳じいさんも今風邪を引いているのよ?」
「え?」
「今様子を見に行ってきたんだけど、咳が辛そうだったの」
あ。と思った。
「そういえばお前、咳してたっけ?」
「・・・してない」
「な、だから芳准の風邪じゃないっていっただろ!」
そう、なんだ。
思わずその場にへたり込む。
今誰かが風邪を引いているなんて話は聞かない。だから自分のせいで香蘭が風邪を引いたのだと思った。
でも他にも、もしかしたらこの村で風邪が流行り始めているのかも知れない。そう思うと芳准の中でスルスルと何かが溶けていった。
「・・・よかった・・」
よかったよかったと何度も繰り返す。心の底から安心して、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。
「よかったってお前なぁ、香蘭は風邪引いてんだぞ!何がよかっただよ」
「え!ち、違うっ!香蘭違うから!香蘭が風邪引いてよかったって言ってるんじゃないよ、違うからねっ!」
いつもの飛皋のからかうような言い方にも本気で受け止める。そんな芳准に楽しそうに香蘭は笑う。
「ありがとう、芳准。すごく私のこと心配してくれてたのね」
「うん・・・おれ、本当におれのせいで香蘭が辛い目にあってたらどうしようってずっとずっと」
少し赤い目の芳准はにっこりと笑った。
「ったく、だから香蘭はお前に教えたくなかったんだよなー」
ぎくりと肩を揺らす香蘭に芳准は目を疑う。
「え?まさかおれだけ仲間外れ?」
「だから、なんでそうなるんだよ!お前が異常に心配するの分かってたから言わなかったんだよ!」
「本当?」
「うん。芳准は私が風邪引いたらいつもすごく心配してくれるからだから。でもごめんね」
「おれの方こそごめん。困らせて」
「あ。そうだ母様」
手招きをしてなにやら耳打ちした香蘭はすごくうれしそうで、男2人は首を傾げる。
少しして戻ってきた香蘭の母親の手に子供が片手で簡単に掴めるくらいの小さなは花束があった。
それを香蘭に渡すと、香蘭は芳准を呼んだ。
「今日お誕生日でしょ?おめでとう芳准」
「え?」
「本当は何かちゃんとした贈り物をしたいと思ってたんだけど、出来なくなってごめんね」
小さく言いながら芳准に花束を手渡す。
その花は香蘭の家の庭で咲いていた小さな白い花だ。
「その花、芳准好きでしょう?」
「え?なんで?」
男のくせに花を誉めるなんて、と芳准の小さな男のプライドを守るため誰にも言ったことがなかった。
「だって家に来るたびに見てるんだもの」
「え”」
バレバレだった。カーっと頬が赤くなるのを感じる。
案の定飛皋からは冷たい空気が漂っている。
そんな飛皋に芳准は乾いた笑いをしながら、香蘭に貰った花束をゆっくりと見た。
香蘭の言うとおりこの花は好きだ。
特別に綺麗というわけではないけれど、1本にたくさん咲いた小さな白い花がまるで空を漂う雲のようで見るだけで何故か心が温かくなる。
大好きな香蘭がくれた小さな白い花。
そう思うと自然と顔が緩む。
「ありがとう、香蘭」
「どういたしまして」
にっこりと笑う。
「飛皋もおれのこと心配してくれてありがとう。香蘭のことおれのことを考えてくれたから言わなかったんだよね」
「別に心配なんかしてねぇって。後でぐちぐちいうのが面倒だから言わなかっただけだよ」
そっぽ向く飛皋の頬は僅かに赤い。
「さぁ、そろそろ帰らないと本当に風邪がうつったら大変よ」
微笑ましく子供達を眺めていた香蘭の母親が帰るように促す。
「風邪が治ったらまたみんな一緒に遊ぼうね!」
「早く治せよ、風邪」
「2人とも、今日は本当にありがとう」
一年に一度の誕生日。
「何ニマニマしてんだよ・・・」
いつの間にか花束を抱きしめて一人で笑っていたらしい。
「だって、うれしいんだもん!」
「お前、そんっなにその花が好きなのか!?」
理解できないといった風に飛皋が顔をのぞき込む。
「大好きだよ。でも香蘭と飛皋がおれの友達だってことが一番うれしいんだ!ずっとずっと一緒にいようね!」
「なっ!・・・お前恥ずかしいやつだなぁ!」
近寄ってくるなとばかりに手を振る飛皋に芳准は一歩二歩と歩み寄る。
「ね?」
「・・・・・・・・・・・・・・・あぁ~!一緒だよ、ずっと一緒だって!」
そう言うと照れたように笑った後、飛皋ににっこりと笑った。
あの時、雨に打たれ自分の中にとんでもない凶器が眠っていることを知った。
怒りと悲しみとが体の中でグルグルと周り、自分でも抑えきれない感情がどろりと流れ出してきた。
比例するかのように雨も風もどんどん強くなった。まるで負の感情が嵐を呼んで来たかのように。
生活の糧で村の主流となっている川の水位はどんどん高くなる。
しかしそれにすら気づかずに、親友を呼び出した。
ーーー何故、裏切った。
そう、問い詰めた。
あの時とまではいかないが一昨日も随分天気が荒れていた。
彼女の心の中もきっと、天と同じようなものだったのだろう。
思えば、彼女は巫女とはいえまだまだ少女といえる年齢。ずっと知らずに気を張っていたのだろう。
知らない世界で1人、国を守るという重要な使命。
それは自分の国である自分たちにとっても重い使命で、他国どころか異世界に住む彼女からすればなおのことだろう。
敵となってしまった唯という親友。
そしてこの異世界からずっと兄のように慕っていた鬼宿の裏切りともいえる行為。
彼女が心が折れてしまうには十分だった。
けれど彼女を大切に思う仲間たちの暖かい手に守られた。
しかし運命は残酷で、青龍七星士に操られた鬼宿は巫女を葬るために紅南へやってきた。
彼らの頬を伝うのは降りしきる雨なのか、それとも涙なのかは分からない。それでも与えられた使命を全うするため2人は剣を向けた。
彼を操った蠱毒という呪術の存在は知っていた。
しかし術を解くのはかけるよりも困難で、何よりも心に関することは無理やりに解呪できるものではない。
下手をすればそれまでの記憶すらなくなる可能性があるからだ。
そして呪術は専門外で術を扱うものとして学んだ程度だ。蠱毒という呪術も聞きかじったことがある程度にしか学んでいない。
どんなに覚え知った術や知識をひっくり返しても、今出来るのは何も出来ず真剣な男と男の戦いを見守ること。
巫女を、大切な彼女を護りきるという彼の思いが伝わってくる。
「どちらかが倒されるまで…もう誰にも止められないのよ」
そう。どちらかが倒れるまで。
もし止められるとしたら、当事者である彼女だけ。
雨音が随分うるさい。
体は冷えているはずなのに温かい。
もしここでどちらかを失うことは朱雀を呼び出せなせなくなる。いやそれ以前に彼女も七星士たちも、仲間を失うなんてしたくない。
けれど手出し無用と彼の心からの訴えに今はただ見守るだけ。
乗り越えたと思っていた過去がよみがえる。
まるで心を映したかのようないつまでも続く大雨。
「だめええぇぇぇ!!!!!」
一筋の光となったのは彼女の悲痛な叫び声。
雨に足を取られた星宿に止めとばかりに大きく剣を振り上げた鬼宿は一瞬ためらった。
彼女、美朱からの悲痛の叫び声が耳に届いたかのように。
「鬼宿。やだ……やだよ!!目を開けて!!」
これ以上に怖いことなど他にないだろう。
目の前で最愛の人が倒れたのだから。
「死んじゃやだよ!!鬼宿ーーーっ!!」
「朱…雀…の巫女……」
苦しそうな息を吐きながら口にしたのは、
「殺す……お前を殺…す……」
貫かれたときに落とした剣を震える手で掴もうとした剣を美朱が剣を取り鬼宿に持たせる。
彼女の強さはどこからきたものなのだろうか。
始めてみたときはごく普通の少女だったというのに。
「だったら殺しなさい!
もう一度元気になって。そしたら望み通り殺して!
あたし…鬼宿にならかまわない……
だから、死なないで!
好きだよ鬼宿
ずっとずっと大好きだよ……」
巫女の口付け。
震える手で彼女を殺そうと振り上げた剣は、
カラリと音を立てて地に落ちた。
「…なんだ…泣いてんのか…ごめん0時に…って約束…したのに遅れちまった」
「…ううん。大…丈夫…今…0時になったとこだ…から」
ふぅ、と小さく井宿は満点の星を見上げながら息を吐いた。
まるで昨日までの雨がうそのようだ。
祝い酒と称された小さな宴から抜け出したのは、少し前のこと。
回ったお酒を覚ますため、というのは事実だがほとんどが口実だった。
朱雀召喚を目前に控えたこの時期、気を抜いてはいけないという思いもあったが、なによりも少し1人になりたかった。
七星士としての任務よりも自分のことを優先してしまうが、ほんの少しだけ。
ここ数日いろいろなことがあった。
でも、よかった。本当によかった。
また、同じことの繰り返しだと思った。
怒りと憎しみと悲しみ、そして愛しさ。
昔の自分たちの通った道を繰り返さなくて本当によかった。
残された青龍の巫女は気になるが朱雀を呼び出せば、きっと。
話し合うことさえできればきっと彼女たちは親友に戻れるから。
だからもうきっと大丈夫。
雨はいつも、大切なものをすべて流していくのだと思った。
けれど、信じてることができれば、大切な人たちがいれば、愛してくれる人がいれば、掴み取ることができるんだと気づいた。
自分よりも一回り近くも年下の少女に教わるとは。あの時と少しも成長していないなと苦笑する。
そして本当に強い少女だ。
過去を振りかえって後悔することはもうしたくない。
そのために力をつけたのだ。
能力も、そしてそれを扱う心も。
もうすぐ朱雀召喚の儀式。
何が起こるかわからないが、使命をまっとうするだけだ。
そして大切な仲間たちが幸せになるように。
「井宿さん」
「張宿どうしたのだ?」
「いえ、星宿様も軫宿さんも部屋へ戻られたので僕もそろそろと思ったら井宿さんを見かけたので、少しお話したいなと思って」
少し照れくさそうに笑う張宿を見て思う。
「そういえば、張宿とまだちゃんと話していないのだ」
自ら言い出したこととはいえ留守番組だった井宿は仲間たちと交流が少ないのだ。
とはいえ、どちらも自ら話すタイプではなく聞き役。
自然と沈黙が流れる。
しかしその沈黙は重いものではない。
自然の声を聞きながらゆっくりと時は流れる。
「それにしても、美朱も翼宿も星宿様もみんな無茶しすぎなのだ~」
沈黙を破ったのは井宿のおどけた声。
「無事だったからよかったものの、見ているこっちはヒヤヒヤなのだぁ」
その言葉に張宿は苦笑する。
「その中に井宿さんは含まれないんですか?」
「だ?」
「翼宿さんに聞きましたよ?捕まった美朱さんを城内を心宿に変身して探したとか・・・」
「翼宿のことだからきっと「井宿のやつ俺を柱にグルグルに縛りよった」とか騒いでいるのだ?」
「あ。分かりました?」
「翼宿は分かりやすいのだぁ」
「鬼宿さんのことの次くらいに騒いでましたよ」
子供なのだと呆れたように呟く井宿にどちらからともなく笑いあう。
「でも、ほんとにみんな無事でよかったのだ」
不意にお面の上からでも分かる真剣な目を見て思わず息をのむ。
張宿が始めてみた井宿は猛ダッシュで走ってきた星宿が三頭身の井宿に姿を変えたものだった。
第一印象からしてあれだったのだから、井宿という人物を知る前によく分からない、不思議な人だというイメージを持った。
短い付き合いだが、言動からしても行動からしても第一印象は今もまったく変わらないのだが、何故か自分が思っているよりもずっと大人なんだと思った。
深い悲しみを知った目。そんな感じがした。
みんな何かを持っているんだ。
どんなに嫌でも、それぞれの使命を持っている。
「みんなが・・・幸せになるといいですね」
幸せになる。
そのためにも自分はここにいる。
「出来る限りのことをするのだ。そうしたらきっと何かが変わるのだ」
大丈夫だよ、とそう言われたような気がした。
「不安は誰にもあるのだ・・・・・・それにしても、そろそろ止めたほうがよさそうなのだ」
「え?」
井宿の視線の先には翼宿や柳宿たちと先ほどまでいた部屋。
ちょっとした祝い酒とは言いがたい笑い声が聞こえる。
間違いなくお酒が随分入っている。
「いい加減止めないと翼宿は体に障るし、みんなも儀式の準備があるのだ」
「ですね」
思わず小さく笑ってしまった。
一体どこからまでが真剣なのかどのあたりがふざけているのか分からない、読めない人だなと思う。
「張宿も早く休むのだ」
「はい、ではお先に失礼します。井宿さん」
「お休みなのだ」
部屋に帰る張宿に見送って、ため息をついてから扉に手をかける。
まったく。1人でゆっくり時間もないのだ。
「祝い酒もいいのだが、いい加減お開きにするのだ」
すると一斉にブーイングが起きる。
「え~」
「もう少し、ええやないか」
「ケガを治すにはゆっくり休むことが大事なのだ!深酒なんてとんでもないのだ!」
「私はケガしてないし、大丈夫よ」
「あ!柳宿お前っ!!」
1人逃げよったなと柳宿を睨むが、
「柳宿も!明日からみんな儀式の準備で大変なのだ。遅くまで騒いでいてはみんなの迷惑になるのだ」
ケケケと意地悪く笑う翼宿は柳宿に殴り飛ばされる。
そんな様子を侍女たちは困ったように見守っている。
「あの・・・出来れば宮殿内も明日から忙しくなりますので、そろそろ・・・」
言いにくそうにしどろもどろ言う侍女たち。
結構我慢していたのだろう。当然だ、日がそろそろ変わろうとしているのだから。
「分かったわ。ごめんなさいね、みんな」
「ちぇ」
「お酒はまた今度ゆっくりと時間を考えてしたらいいのだ」
時には羽目を外すことも大事だ。
今度は朱雀召喚の祝いに、全員でお酒を飲もう。
笛が聞こえる。
暖かく安心できる音色、でもどこか寂しい。
張宿の本当の「不安」の意味を知るのはもう少し後のこと。
船に乗る前に”カナヅチ”というあまりに情けない姿を目撃した一行は誰もが「水が怖いんだ」と思っていたが軫宿の診断ではどうやら原因は船酔いのようだ。
そういえば、最初は旅を出る高揚もあり鬼宿たちに随分とカナヅチをネタに騒いでいたなと井宿はフト思い出す。
少しは外の空気に当たったほうがいいという軫宿の提案に甲板に出てきたはいいがあまりに辛そうな
ーーとは言ってもからかわれたらしっかりと返すのだがーー姿と翼宿自身に何かいい方法はないかと問われたことに少しでも慣れればとある秘術を教えた。
「しかし、こっちも気持ち悪くなりそうなのだ」
その原因は船酔いに加え井宿の教えた秘術、その場でぐるぐる回るというとんでもない方法だったりするのだが教えたの張本人はしれっとしたものだった。
「どうした、お前も船酔いか?」
「いや、そういうわけではないのだが・・・」
「船酔いは薬で紛らわすことはできても本人の問題だからな。船に少しでも慣れてしまうほうが賢明だ。まぁ確かにあれは随分荒療治だがな」
当然翼宿の頑丈な体を知ってのことなのだが。
「1度慣れてしまえば多少のことは大抵大丈夫なのだ」
今のような全員が無事にここにいる状態でなら、たとえ青龍七星のに襲われたとしても翼宿1人が動けない状態でもなんとかしのぐことはできるだろう。
あちらも神座宝を求めて他国へ赴くのだろうからまさか全員でこちらへ乗り込んでくることはないだろう。
問題は翼宿1人で戦闘不能な状態で何かがあったときだ。
「まぁ。翼宿なら何があっても死ぬことはないだろうがな」
「唯一この状態で何かあったとして翼宿が困ることといえば、外が運河だということなのだ」
「そればかりは薬ではどうすることもできんからな、自力でなんとかしてもらうしかないな」
「そうなのだ」
なにやら美朱と柳宿が騒いでいる。先ほどの柳宿の料理を美朱が平らげたという話の続きだろう。
そしてこの騒ぎは自室で寝ている翼宿の元へも届いているだろう。
「大人しくしている翼宿なんてあまり想像つかないのだ」
操られた鬼宿との怪我のときも軫宿の能力が回復するまでの間寝台にこそいたものの部屋に誰かが来るたびに口はせわしなく動いていた。
井宿はすぐ後ろにあった手すりに背を預けため息を1つついて空を見上げる。
「だ~」
「どうした?」
「いや・・・翼宿を見ていたら少し思い出したくないことを思いだしてしまったのだ」
苦笑しながらこちらを見る姿を見て、思い出したくないとはいいながらも重い話ではないのだろうと軫宿は判断する。
「船酔いではないのだが、昔あの秘術と同じような目にあったことがあるのだ~」
「やはり、実体験が元か」
「分かるのだ?」
「職業柄いろんな人間を見ているからな」
最もお前のようなタイプが一番やっかいだがな、と付け加えると「よく言われたのだ」と嫌味に動じることなく肯定する。
「星宿様に化けた変身の術、あれは変身する人物をイメージするのが一番大事なのだが・・・一番始めに変身したのが、太一君なのだ」
「ああ。鬼宿が太一君のドアップに耐えれるのは大極山に3年もいた井宿くらいだと言っていたな」
とはいえ、儀式のあとの登場にはさすがにひっくり返ったのだが、それでも他の七星の中では一番立ち直りが早かった。
「その頃は術1つ満足に使えないくらい未熟なのもあって、うまく太一君がイメージができなかったのだ」
もちろん原因はそれだけではないのだが、いつどこでこの会話が聞かれているとも限らないのを知っている井宿は言葉を濁す。
「それを見かねた娘娘が・・・娘娘は太一君に使える仙女なのだが、太一君に変身した10人くらいの娘娘たちに周りを囲まれたことがあるのだ」
「そ、それは・・・」
儀式のあとに出てきた太一君の姿とぐるりと周りを囲まれた状況を一瞬想像してしまい、軫宿は頭を抑える。
「しかもその日太一君の姿の娘娘がオイラの側を離れてくれなくて随分困ったのだ。お陰で変身の術に成功したのだがしばらく悪m・・・いやなんでもないのだ」
ただ側にいるだけではないという娘娘の性格を軫宿は知らないが井宿が飲み込んだ言葉を察する。
「そ、それで”毒を持って毒を制する”か・・・船酔いがあれで治ったらいいがな」
「オイラのときは効果的だったのだが、出来れば二度とああいう目にはなりたくないのだ」
「そうだろうな」
柳宿が翼宿の部屋のほうへ料理を持っていく姿が見えた。
「あ、そうなのだ!柳宿、それ翼宿に持っていくのだ?」
「そうよ、何か少しでも食べなきゃいけないしね!」
「これも一緒に持っていってほしいのだ」
どこからか取り出した複雑な文字が書かれたお札を1枚渡す。
「何これ?」
「これは荒れた気を抑えることのできるお札なのだ。これを身に着けていると少しは楽になるかもしれないのだ?」
「自分で渡しなさいよ!というかなんで疑問なのよ?」
「今オイラが翼宿のところに行くと、きっと怒鳴られるのだ~ それに、この本来は魔物を抑えるお札なのだ。だからそういう用途には使ったことがないのだ~」
その言葉に柳宿は声を上げて笑い出す。
「翼宿には内緒なのだー」
「翼宿自体魔物なんじゃないのぉ~」
ケラケラと笑いながら食事を運ぶ柳宿に「頼むのだ」と声をかけると手を振って答えた。