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許嫁






  都会から喧騒離れた栄陽の外れ。

 故郷を思わせる静かな緑に囲まれた場所の木陰で芳准は書物を読んでいた。

 その真剣な眼差しに声をかけようとする者はいない。

 暗記するほど何度も何度も読んだ。だがまだ正しい解釈は出来ていない。

 正しい解釈をしたうえ、自分なりの意見を考える。

 父のためにも家族のためにも、そして自分の将来のためにも今出来るのはこうして勉学に励むこと。

 だが本当に勉学に集中したいのなら静かな室内のほうがよいはず。わざわざ大切な書物を持ち運びここまで来るのは理由がある。









 時をさかのぼること2か月ほど前の父から言われた唐突な言葉だった。

 物心ついた頃から一緒に遊んでいた幼馴染の娘が自分の許嫁と聞いたのだ。

 幼馴染をそういう対象、いやそれ以前に女性を意識したことのない芳准にとっては青天の霹靂だった。

 理屈では幼馴染の1人が生物学上女で、自分とは違うと知っていた。

 昔から何をするのも一緒で、香蘭に合わせて女の子の遊びもしたし、大人しい香蘭を強引にやんちゃな遊びに誘ったり、川遊びをしてびしょびしょに濡れて大人に怒られたこともあった。

 でも今意識してみると、自分とは違う生き物だとだんだんと理解してくる。

 昔は自分たちと大して変わらなかったというのに、自分よりずっと華奢で柔らかく丸みを帯びていて、胸だって…

 香蘭の事を思うとドキドキと飛び出しそうなくらい胸が高鳴っていることに気付いた。

 「大丈夫?」と心配そうに見つめる香蘭はむしろ逆効果で顔が真っ赤だと妹に何度もからかわれた。

 知らない気持ちに知らない胸の高まり。自分に起こる異変が分からず芳准は困惑して日常生活も困難なほど何もかもが手につかなくなった。

 すぐに収まるだろうと思っていた周囲も1か月もその状態が続くと本人のためにならないと芳准は栄陽の父の弟、つまり叔父の家へ行くように芳准に言った。

 暖かく迎えてくれた叔父の家。叔父の家には実家ほどの質量はないものの読んだことのない書物が山のようにあり役人を目指すにはもってこいの勉強の場。

 しかし与えられたのは良くも悪くも自室と同じ密閉された空間。考える時間は十二分にあって、落ち着かなくて外に出た。










 ふぅ。と一息。

 書物から目を離し空を見上げる。

 葉の間から見える空は青く澄んでいて吸い込まれそうだ。横になって見上げると空と地と一体になったような気がして心地よい。

 そう親友に言うと呆れた顔で俺に付き合ってくれた。そして香蘭は…

 瞬間体の中に熱が走り、心臓がうるさいくらいに悲鳴をあげる。

 まただ。

 香蘭を思い出すたびに、その姿を思い描くたびに、冷静になろうと努めようともうまくいかない。

 自分に起こった現象は芳准の知識の中にはなくてどうしていいか分からなくて、今まで読んだどの書物にも載ってなくて怖くて余計に混乱する。

 わずかに残る理性がそれではいけない、と書物を脇に置き小川をバシャバシャと顔を洗う。そうすると少し冷静になれたような気がする。

「あの、大丈夫ですか…?」

「え?」

 真横で芳准と同じ年頃の男が眉をひそめている。

「あ…いや、大丈夫です!」

「でも顔が少し赤いような…?」

「だ、大丈夫です!」

 動揺を隠し虚勢を張って笑うと男は信用したようで、よかったと息を吐いた。

「気分が悪くてうずくまっているのかと思いましたよ。何事もなくてよかったです」

 何事も何も芳准の心の内は混乱状態なのだが初対面の人に話すことでもない。

「心配おかけしてすみませんでした」

 そっと芳准の横の手頃な石に腰をかけた男はあれ?と声を上げた。

「最近このあたりでよく難しい顔をして巻物を読んでいる方ですよね?」

「え…確かにそうですだけど、そんなに難しい顔してますか?」

「こんな感じに」

 そう眉間にしわを寄せて表現する。男の穏やかなイメージとのギャップはなかなかのもので思わず吹き出してしまった。

「役人を目指しているのですか?」

 脇に置いてあった書物を軽くはたいて芳准に手渡した。その際に題名を見たのだろう。題名を見ただけで何の書物か瞬時に理解するということはこの男も相当な学があることがわかる。

「あなたも?」

 栄陽の都の近くには上善という昔から勉学に力を入れた町があり、実際に上善出身の役人も多い。

「いえ、教養のためですのでそれほどの知識はありません。あ…でも弟なら…」

「弟さんがいらっしゃるんですか?」

「ええ。まだ6歳ですが、一度聞いた難しい事を覚えていたり大人が驚くようなことを知っていたりするので私よりずっと頭がいいのだと思います。普段は私の後に隠れる泣き虫なんですけどね」

 兄バカですよね、と笑う。

「いえ、俺に妹がいるので気持ちはわかります。本当に普段は口ばかり達者な生意気な妹ですが」

「お互い兄バカですね」

 笑いあい、男と別れた。

 頬にひんやりとした風がふれた。空を見上げると思ったより時間が経過していることが分かった。

 叔父の家への道、ほんの少し違和感を感じたがそれが何なのかは気付かなかった。









 ある日の晩芳准は叔父に付き合ってくれと唐突に呼ばれた。

 そう叔父が切り出したのは一刻前。顔が赤くなってきた叔父は止める家族をしり目に手酌を始める。

「あの…そろそろやめたほうがいいんじゃ…」

「飲んでないじゃねーか芳准」

「いや、俺は…」

 何度も交わされた会話。

「何言ってる!許嫁が決まったんだろ?だったら大人だろ?」

 だが違うのは「許嫁」という単語が出たこと。

 3週間ほどこの家で世話になっているが禁止令でも出されたかのように許嫁に関することは会話にでなかった。

 だからこそ故郷にいた頃と比べてずっと勉強に集中することができた。

「さ、酒はほとんど飲んだことないですし、飲まれるわけにはいかないので」

「ほとんどってことは飲んだ事あるんだろ?」

「いや、それは…」

「相変わらず固いなー。顔は姉上似だってのに、中身は嫌になるくらい兄者そっくりだな」

 一瞬芳准の眉間にしわがよる。

「…それは暗に俺が女顔だと言っているんですか?」

 自らの男らしさとは無縁の女性を感じさせる優しすぎるに印象に密かにコンプレックスを抱いている芳准思わず反論する。

 その言葉に芳准の頭をガシガシと乱暴に撫でながら笑う。機嫌はいいらしいが痛みを訴えてもやめてはくれない。

「昔は可愛げがあったのに、いつのまに減らず口をたたくようになったんだこのガキは」

 さっきは大人だと言っていたのに…と痛む頭をさする。

「1つおもしろいこと教えてやるよ」

「おもしろいこと、ですか?」

「兄者が婚儀をしたのは20のときだって聞いたことあるだろ?じゃあ許嫁が決まったのはいくつの時だと思う?」

「え?」

 一般的にはよっぽど子供の時でない限り許嫁が決まると同時に両家は婚儀の準備を行う。そのあたりを理解しているからこそ芳准も苦悩しているのだが。

「14の時なんだよ」

「14歳!?」

 それならば官吏の家の嫡男として15.6の頃に婚儀を行ってもおかしくない。家の安定と跡継ぎを重んじる良家としては何か理由がない限りは6年も時間が空くということはないはずだ。

 何故…と叔父の顔を見るとクツクツと楽しそうに笑っている。

「「自分は父と同じように官吏になれるかどうかはわからないし、彼女のこともまったく知らない。彼女を幸せに、嫁いできてよかったと思えるように出来るかわからない」だってよ。婚儀なんてそんなもんだし、それが普通なのによ!」

 周囲の反対を押し切り良家には珍しい大恋愛の末婚儀を行った叔父には説得力はまったくないが、言い分は一般的なもの。だが芳准には父の言い分のほうが理解できるし、納得できる。

「嫡男が婚儀を拒否。次男が跡継ぎになるか!って言うし、李家始まって以来の大問題になったんだぞ!いい迷惑だって!」

 20年も昔のことなのに憤慨する叔父に、本当に迷惑だったとわかる。確かに長男は婚儀を拒否、次男は周囲の反対を押し切り恋愛。相当問題になっただろう。それを思い苦笑する。

 それなりの家柄の嫡男が親が決めた許嫁と婚儀を行うのは一般的で官吏という家柄上早くに婚儀を行うのは当然のことだ。実際に試験に受かるのはいつになるのかわからないのだから。

 どちらが優先順位かは分かりきっている。それをいつも沈着冷静あの父が間違えるというのは想像つかない。

「お前は幼馴染の娘が許嫁だって事はまだマシなんだぜ!」

「でも!幼馴染だからこそ!確かに香蘭のことは好きだし大切だけど、将来を共にするってことはそれだけでは、だめで…」

 そこで口が止まる。

 それって、父と同じ。

 本当は不安だったんじゃないだろうか。

 女として香蘭を意識したことだけでなく、本当は男として香蘭を護り通せるかが。

「将来が心配なら今まで以上に勉学に励めばいい、試験がどれほど難しいかは分かっている。だからこそだ。幼馴染が突然許嫁になれば混乱するのも当たり前だ。大切なのはその娘をお前が愛しく思っているかどうかだろ?」

 後は自分で考えろ。お前なら分かるだろう。そういうと今にも泣きそうな顔をしている芳准を頭を一度ぐしゃりと撫でてその場を離れた。

 1人残された芳准。

 1番大切なこと・・・

 物心ついた頃から一緒にいた香蘭には幸せになってほしい。

 香蘭を意識して混乱したのはやっぱり俺は男で彼女は女だから。

 でも香蘭と話ができないのは嫌だし会えないのはもっと嫌。

 好きだからとか愛しているとかではなく香蘭に抱く感情は大切だから、悲しむ顔は見たくないから、自分に見せる優しいあの笑顔を護りたいから。

 なんだ。いつもと同じじゃないか。そう気づくと高鳴っていた胸はゆっくりと落ち着きを取り戻した。









 故郷へ帰るのを翌日に控えた昼下がり。

 なんとなくいつも読書をしていたあの場所へ来た。

 今日の目的は読書ではなくただの散歩。

 3週間前栄陽に来た時とは違い今日は穏やかな気分だった。

 気づけば簡単なことで、自分は香蘭が好きで、護りたいんだ。

 それは家とか親がとかではなく、自分の心からの気持ちだと香蘭に伝えよう。そう決めた。

 香蘭を目の前にした時のことを考えるとまた胸はドキドキとあわただしく動くがこの気持ちを伝えない限り前へは進めない気がした。だから。

「大切なものを護るにはどうすればいいと思いますか?」

 先日知り合った同世代の男は突然振られた話題に一瞬目を丸くするがすぐに真摯な顔になる。

 しばし考えた後、ゆっくりと口を開いた。

「どういった意味での護るなのかは分かりませんが大切なのは、護れるような自分になるように努力することだと思います」

 初めて会った日の違和感の正体。それは、この男が芳准のことを知らないからこそ話せた安心感なのだろう。

 香蘭はもちろん家族も親友も、そして叔父家族も当事者であり芳准の抱える問題を知っているから。

 その言葉を聞いてわずかに微笑む。

「ありがとうございます。俺は明日故郷に帰ります」

「そうですか」

 悲しそうに眉を寄せる。

「私は王義翔と申します。上善に住んでおりますので今度栄陽に来るときは是非お尋ねください」

 私の可愛い弟も見に来てくださいと冗談っぽく笑う。

「俺は李芳准。是非その時はよろしくお願いします」

 本当に兄バカだなと苦笑しながら再開の約束を交わして、芳准は帰路に就く。
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